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 窓を開けると、そこはパラグライダーワールド。目と鼻の先の山で、毎日、飛び続ける夢を持ってボクはここにいる。目の前は、岩屋山テイクオフポイント。木のテッペンにくくりつけた吹き流しが、その時々の風の、メッセージを送り続ける。その上に、無限の広がりを見せる空。刻々と変化する雲の形。動き。一日の太陽の活動…それはまるで、人の生命サークルの様。朝日…それは誕生。最もピュアー。夏の日の出は早く、5時くらいから東斜面を、眩しいくらいのパワーで暖めてくれる。

 今朝はわくわくしながら山に上った。ライムグリーンの新しいパラグライダーが届いたからだ。翼を、テイクオフ地点に広げる。それは生まれたてのオニヤンマ。朝日に照らされた透明な翼は、キラキラと輝き、少し朝霧にぬれ、今、飛び出す瞬間を待っている姿の様だ。7時30分、TAKE OFF。すぐ、信じられない事がおきた。ぐーんとハーネスが吊り上げられ、バリオが鳴り出す。かなり強いサーマルにヒットしたと感じると同時に、動物的なカンと動きで旋回に入って行く。朝日のパワーを胸一杯に吸い込んだ森が、大きなアクビをしてくれている。バリオの音が心地良く鳴り続け、旋回を続けながらぐんぐん上昇を続けて行く。こんなに朝、早くからサーマルをヒットしたことは初めてだ。ガハハ…腹の底から野生の雄叫びを上げる。パラグライダー。何ていう奴だ、こんちきしょう。こんな、にくい奴は他にあるかい。こいつとだったら、とことん付き合ってやるぜ。

 ボクが、初めてパラグライダーを知ったのは、8年前の1984年、ネパールはヒマラヤ山脈のカンチェンジュンガへ、ハンググライダーの飛行に行っている時の事だった。近くにジャヌーと言って、とても形の良い山がそびえていて、その山頂からフランスの登山家が飛び降りて、途中にひっかかったという話をシェルパから聞かされた。その時はパラグライダーの存在すら知らず、きっと崖の上からスカイダイビングをして、パラシュートを開き、それが途中でひっかかってしまったのだろうと思っていた。

 翌年、当時スキーの仕事をしていたアシックスから電話があり、フランスのウェアメーカーから、飛行物体らしき物が入ったバッグが届いたので、見てほしいと言ってきたので、すっ飛んで見に行った。バッグから、ナイロンの生地を引っぱり出して広げてみると、それは長方形のパラシュートであり、『パラパント』と書いてある。ABCパラパントという本も入っていた。「ジャヌーのテッペンから飛んで途中で引っかかったのは、これかぁ」と、しばらく見とれてしまった。

 さっそく鳥取砂丘へ持って行き、飛んでみることにする。ABCパラパントなる本を片手に、海風にセールを広げて立ち上げてみる。セールを縫い合わせただけの、こんな単純なものが、本当に飛ぶのだろうかと、半信半疑のまま、砂丘をかけ降りると、フーッと体が浮いて行く。数秒のフライトで、ランディング。ハンググライダーを長年やって来たボクとしては、物足りないが、こんなに手軽に、簡単に飛べるのなら、だれでも、すぐに飛ばしてやれる。こいつは、すごい発明だ。まるっきり新しいスポーツの誕生ではないか。

 このフライトを見ていた、当時9才の息子が、ものおじすることなく「やってみたい!」と言う。以前からハンググライダーをやってみたいと言っていたが、9才の子供では、持ち上げることすらできない。が、これならすぐに飛ばしてやれる。「よし、飛ばしてやろう。おまえは今日から飛行少年だ」。短パンにハダシ。へルメットをかぶせてやり、「いいか、飛んだら何もするな。じっとしておけ」と、無責任とも思えるアドバイスをして、機体を立ち上げてやり、まるで紙飛行機を飛ばすように、海風の中にリリースしてやる。ゆっくりと下降しながら、安定して飛行して行く。しばらく見とれていたが、落ちては大変とばかりに、パラパントなる飛行物体を追いかける。上を見ると「ヤッホー!!」と叫びながら、足をばたばたして、うれしさを体一杯に表現している。砂浜にランディングした飛行少年第一号の第一声は、「ああ、おもしろかった。また飛んでもいいかぁ」であった。こうして、フランスから届いた新しい飛行物体で、一日中、親子で遊んだ。それでも、このときは、まだ、今日のようなパラグライダー界になるとは予想すらできなかったし、まして8年後に、17才になった息子に、岩屋山のフライトで負けるとは、夢にも思っていなかった。

(月刊パラワールド92年5月号より転載)

パラパント
フランスから届いたパラパントなるものを、鳥取砂丘でさっそく試乗
息子
当時9歳の息子もこの日から飛行少年の仲間入り

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