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 ボクの仕事は飛び職。建設現場の足場の上をヒョイヒョイと身軽に飛び回り、仕事をする方は鳶職。同じとび職だか、鳶職ファッションでパラグライディングしているわけではない。空を飛ぶ『トンビ』がお師匠さんなので、トンビ職かもしれない。それでも、トンビの様に、上昇気流で舞い上がってきたトンボや蝶々を飛びながら食べては生きてゆけないので、パラグライダーを教えること、販売することを仕事にして、それ以外は鳥のように飛び続けている。パラグライダーやハンググライダーで空を飛んでいると、トンビ、ワシ、タカ、ハヤブサなどが、いつの間にか、すーっと寄ってくる。寄ってくるというより同じ上昇気流の中を、それぞれの思いで飛行しているといった方が良いかもしれない。

 それらの中で、トンビはもっともポピュラーな存在である。同じ上昇気流の中に入り、ピピピ……というバリオの上昇音と、トンビのピーヒョロロ…が織りなすハーモニーは、快感である。ボクらのお師匠さんのトンビも、ずるがしっこいカラスに追いかけられて、空中戦で苦戦しているときなどは、トンビ人生(?)で苦労しているんだなぁと思ったりして、おもわず、がんばれ!と応援したくなる。時々、昼めし時になると、どこからともなく現れて、スクール生のお弁当を執拗に狙ってくる。フリスビーをぶつけても、大声をあげても平然と飛行を続け、狙い定めた弁当めがけて急降下してくる時は、まいってしまう。

 こんな時は、日ごろ上昇気流のありかを教えてもらっているお礼にフライの一つも投げてやると、それを当然のごとく、ワシづかみならぬトンビづかみして、どこかへ飛び去って行く。トンビにアブラゲとはよく言ったものだ。

 ハワイはマカプをハンググライダーで飛んでいると、黒くてクチバシのとがった、まるで始祖鳥の子供みたいなヤツが群れをなして近寄ってくる。貿易風の強い海風の中で飛行しているので、ウイングデザインは、シャープでスピードが出るように設計されている。始祖鳥もどきの彼らと何じように、太平洋の大海原を見ながら、時々、ちらっ、ちらっとお互いに目を見合わせながら様子をうかがうのである。ランディングしてから、この鳥のことを地元のフライヤーに聞いたら、肉食の鳥で、飛んでいる小鳥をパクリと食べると聞いて、ぞーっとした。それでも、相手がハングでは、バテンが、のどにつかえるか。

 ボクがヒマラヤをハングで飛ぼうと思ったのは、8000メートルのヒマラヤ山脈上空を、上昇気流に乗って飛行する鶴の群れの写真を見たときに、鶴でも飛べるならボクでも飛べると、身勝手な発想を思い立ったことに始まる。後日、この話を講演会なるところで得意げにしゃべった。『空を飛ぶタンチョー鶴の写真を見たときに……』。それを聞いていた日本野鳥の会のメンバーの方が、図鑑を持って現れて、『その鶴は、タンチョー鶴ではなく、ソデグロナべ鶴である』と教えてくれた。ボクにとっては、鶴姫でもよかったけれど、以来、この話の時は『空を飛ぶ、ソデグロナべ鶴の写真を見たとき……』とするようにした。おそらく、グライディングする鳥たちの中で、クロスカントリーの達人はこの鶴だと思う。シベリアから、ヒマラヤ山脈を超えてインドまで飛んでいくと言われている。ヒマラヤへ行くとヒマラヤ大鷲がいる。空気密度が少くないので翼面積も大きく、ウイングスパンも長いデザインになってくる。岩の上で羽根を休めている姿は、大人がマントを着てかがんでいるような大きさで、近寄るにはかなり勇気がいるし、目でも合った時などは、身震いがするくらいの迫力なのだ。

 84年のヒマラヤハング飛行の時に、一番最初のトレーニングフライトを4300mから行い、着陸するとどこからともなくウイングスパンが2mもあるのではないかと思うほどの大鷲が飛来した。ヒマラヤ山脈をバックに、どでかい翼を広げて悠然ど滑空する姿は、威風堂々としていて、ザ・ヒマラヤン・イーグルといった風格だ。この大鷲君、飛行のたびに現れて、本番の7850mからの飛行の時には、氷河上のハングの翼のシルエットにこの大鷲君のぴったりとついてくるもう一つのシルエットがあった。

 ボクとハングの高度記録を競った、ジャンマルク・ボアバンは、まさしくこのザ・ヒマラヤン・イーグルと呼ぶにふさわしい鳥人だったと思う。86年1月大阪に来たときダックスの半谷さんに紹介され、その時に撮って送って頂いた写真をずっと大切に額に入れて飾っておいた。

 写真にサインのしてある、ボアバンさんのメッセージの意味が、フランス語で書かれているのでわからず気になっていた。最近になって、フランス人の友人ピエールさんが『山頂(エベレスト)を飛んでいる鳥を見たかい?』って書いてあるんだよと数えてくれ、これでナゾが解けた。当時ボクもボアバンさんも、エベレスト山頂を目指していたのだった。

 ハンググライダーからパラグライダー、そしてスカイダイビングへと超鳥人を目指して飛び続けた彼は、エンゼルホール(ベネズエラ)からのスカイダイビングに失敗し、帰らぬ人となってしまった。ボアバンさんが、見たかもしれない山頂を飛んでいた鳥は、あの大鷲だったのかもしれない。

(月刊パラワールド92年8月号より転載)

ジャンマルク・ボアバン
ジャンマルク・ボアバンと著者(左)

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