今でもそうですが、僕はトライアスロンが趣味で20代最後のトライアスロンレースの思い出にと スイスで開催された アイアンマン スイス に参加したときに立ち寄った インターラーケン という 町でそれを見ました。 気持ちよさそうに空を飛び、緑の芝生の上に着陸する。(当時はまだランディングという言葉を知らない) 人は誰でも一度は空を飛びたいと思うでしょう。その内の一人であった僕も、飛んでいる人たちをすごく うらやましいと思いましたが、当時の僕にはパラグライダーは雲の上のスポーツ。 僕にはできないと思っていた。
それから数年が過ぎ、会社の人とその友人の方とのお酒の席で、パラグライダーが兵庫県でタンデムなら すぐに飛べることを知る。 早速その友人の方たちと2003年10月16日(だったと思う)TAKにお伺いし、飛ぶ事ができた。 一人で飛べるようになりたい。そう思うようになった。
約1ヶ月後11月13日体験でお伺いする。
グリーンパークでの練習、プールでの水泳の後あつかましくも正ちゃんの誕生日会に参加させてもらう。 校長にパラグライダーを続けたいという気持ちを伝え、校長からの「お待ちしてます」の言葉に 絶対一人で
飛んでやる!! 強く思った。
11月27日 前日に33歳になった僕はそれを機に入校
その日に校長にタンデム2本を飛ばしてもらった。ますます一人で飛びたいという気持ちがふくらんでいく。 雪の日のハチ北でのスキー、グリーンパークでのスノボー、プールでの水泳、いろんな遊びに上手く時間を
ここでは過ごすことができる。 そんな事をしているあっという間に2ヶ月が過ぎた。
1月28日 神戸の空は快晴。
先週は雪の為初フライトは行えず。 今日はできる と思った。しかし不思議なくらい落ち着いていた。 スクールに着き、正ちゃんから「今日は飛べるで!」の言葉に やったぁ!! という思い。
校長の「今日は二人の初フライト(僕と中西さん)を行います」の言葉に初めて緊張が体を走った。 午前のグリーンパークでの練習。上手くライズアップできない。中西さんはバンバン決まっている。
かなりあせった!! 大丈夫かなぁ? 不安だった。
昼からの初フライトの準備を事務所で行っている間、緊張のあまり小さなおにぎりがのどをとおらない。 道具のチェック及びシミュレーターでの座る練習を繰り返した。
山頂へ向かう車の中、僕の頭の中には最悪のイメージしかなかった。
山の中へ突っ込む自分の姿、川の中に落ちる姿しか出てこない。
山頂までの道のりが長く感じる。
僕と中西さん どっちが先に飛ぶんやろ??
そんな細かいことを考えていた。
山頂に着き、校長から僕の名前が呼ばれる!! 「やっぱり僕が先なのか!!」 心臓のバコバコは最高潮。 足は細かく震えていた。 中西さんに「後で地上で会いましょう」と声をかけるが、言っている僕があまり笑えなかった。 写真の顔もどこかひきつっていると思う。
準備ができ、とにかく空をめがけて走る。下は見なかった。 ほんの数秒後僕の体は浮いていた。 「座って」の指示に強引?に座った気がする。 とにかく座って落ち着きたかった。 そこで自分を取り戻した気がした。 シミュレーターにはない風の音、細かい揺れ、少し雪が残っている山々、冷たい空気。 飛んでることを実感した。 後は地上からの正ちゃんの指示どおり?(やったつもり) 言われるままに体重移動、及びブレークコードを引いた。
ランディングの時は不思議なくらい落ち着いていた。 きめ細かい指示に安心できた。 今日は偶数日なので右回りだったっけ? 変に余裕がある自分が逆に怖かった。 と思っているうちにスクールの反対方向からのランディング。 つまずくことなく走り、無事地球に生還した。 時間にして10分〜15分の間。 トライアスロンで10時間以上競技した後以上の充実した気持ちだった。 思わずバンザイ!! 後から飛んだ中西さんも無事生還。 なんとこの日は贅沢なことにもう1回フライトすることができた。
校長から座ることの大切さをずっと聞いていたが、飛んでみてわかった。 座ることによって僕も自分をとりもどし飛ぶことを楽しめ、考えることができた。 初フライトによりやっとフライヤーとしてのスタートがきれました。 これからも安全第一。 周りの方々や本来の生息地である鳥たちに迷惑をかけることなく、感謝の気持ち を忘れず、パラグライダーを続けていきたいと思っています。
これからもスクールに通い続けます。 みなさんよろしくお願いします。 芦田 雅尚