「VIRGIN FLIGHT REPORT」 BY 伊勢村さん (04/01/10)


PROLOGUE

 25年前、4月のことであった。国鉄(注1)のストで学校に行けない私は、同級生と千鳥が淵、日本武道館前で遊んでいた。 旗を掲揚するポールが目に付き、よじ登り、上から飛び降りたらコーヒーが飲めるとの誘惑に、チャレンジし 大きくジャンプ・・・結果は、両足首の靱帯断裂、骨折・・・2ヶ月の両足ギブスはさすがにこたえた。 そのあと、親から、今度高いところに登ったら仕送り止めるぞと脅され、学生時代は、阪神タイガースの応援団、 夏サーフィン、冬スキー、休みのバイトはドカチンと東京女学館の高校生の家庭教師とごく普通の学生(注2)として過ごしていた。

 23年前、研究室の教授の家に遊びに行ったとき、そのリビングには所狭しと飛行機の模型が飾られていた。 =その数ざっと2000機、そして、教授の親父(注3)が出てこられ、飛行機がどうして飛ぶのか、人力飛行機への思いなどを、 熱く語ってくれました。そして、君たち「空はロマンだよ」と最後に言われ、自室に戻られました。 4年前、40の手習いで、スノーボードをはじめました。会社の部下がやっていて面白そうでありましたが、きっかけは 息子の一言「スキーよりスノーボードがかっこええやん」・・・ルスツでいきなりボードスクールに入り、その日のうちに ターンをマスター、インストラクターのお姉さんから、サーフィンをやってたら上達早いみたい、でも「スノーボードの 才能がありますね」・・・校長どうもこの種の言葉には弱いみたいです。

 去年、44の手習い、私のスキーの先生から、飛騨高山でパラしましょうとの誘い、家族でGW旅行を計画するも 仕事が忙しく都合がつかない。そして夏、家内の一言「パラグライダーしたい」・・・香住(注4)の蟹と神鍋でパラを体験 ほんの20秒ほどであったが、あの浮遊感が忘れられない。 8月末、インターネットでパラスクールを検索、大阪からの日帰り・・・和歌山が候補に、もう少し調べよう・・・

TAK・岩屋・青垣町、それどこや?、氷上って書いてあるで、そこやったら氷上カントリー・サイプレスのとこや、日帰りOKや、 TAKのホームページはいかにも手作りという感じ、校長ヒマラヤ飛んだ人やて、 ほんなら、ここに電話しょ、というわけで、8月末 1日体験に家内と来ました。・・・ちょっと前置きが長すぎたかな?

2004年1月10日

9:15 朝到着すると、全員が事務所の中、山頂は強風で誰も飛んでいない。朝から正一郎さんに誘われ、竹とんぼ作りを始める。 校長が、グリーンパークを見に行くが、フォローがきつくて、練習できないとのこと、ひたすら竹を削っていたら、皆山頂へ向かって、 ショップはガラガラである。今日はタケコプターを家に持って帰ろ・・・

11:00 ランディング場で、立ち上げ・グラハンの練習。クリスマスに届いた真っ赤なフォーラスの初お目見えである。ぱりぱりやんか ノンちゃんから手首を前に倒す悪い癖や、手首うしろね・・・無理やり力でもっていっている、12月10日以来の立ち上げで勘が悪い。    校長が近づいてきて、今日やまとびしますか、次回にしますかと聞かれる・・・風が良くなったら 本日でもお願いしたいと伝える 校長より練習で疲れないように、気持ちを安定させるようしましょうと言われた。

12:40 昼 ラーメン定食(味噌味)   

13:10 戻って、ショップの留守番・・・竹トンボの翼部分をサンドペーパーで削る・・・かなりシャープになってきた

13:30 再度 ランディング場で、立ち上げ・グラハンの練習を行う。立ち上げてからリバースで機体を頭上で操作する練習であるが 振り返るのが遅いのと機体が頭上から離れているので、すぐに落としてしまう、後ろ歩きでこける・・・難しい 今日は近所から大音響で演歌が聞こえる。北酒場はまだテンポがいいが、ぴんからトリオはライズアップには向かない しかし、かかる曲全て歌えるちゅうのんは、かなりおっさんやで。ノンちゃんから普段はどんなんうたってるんと聞かれ ビーズ・ケミストリーなんか歌ってる、4月のケミのコンサート申し込んだと答える。 立ち上げ、グラハンは何とかできているが、グリーンパークの斜面で練習できないから、初フライトはお預けやろな・・・

16:00 山頂の校長から、山飛びの用意をして、あがるように無線が入った。風がきついので、今日は上がるだけやで・・・と正ちゃん ノンちゃんの運転で山頂へ、大音響は近所の神社、えべっさんは耳が遠いから、大きな鐘たたいて、賽銭入れたからたのんまっせ ・・・っていわんと、あかんとか、泊まりで来たらどこに泊まったらええのんと、ノンちゃんに対して男のくせにようしゃべること・・・ 山頂には、校長がいて、今日はプレフライト 道具持って上がって とんだ気になろう・・・みたいなことを言われた。 なるほど、風が強い。 ユカさんもマックスを連れてきて、タック勢ぞろいである。

 ところがである、風が少し弱まってきたので、 校長より 急に フライトスーツ着てとの指示、初フライトが急に決まり、ノンちゃんに無線機をつけてもらう、  本日おろしたての、真っ赤なフォーラスのラインチェックしてと言われ、広げて チェックをする。 テイクオフが、私一人のために あわただしい。 無線聞こえますか? 電池は新しい?

 「無線聞こえません・・・」 ヘルメットからの線が外れかけていた・・・少し緊張はしているが、どきどきしない、むしろ落ち着いているのでは・・・ 正月に伊勢神宮でお参りした効果か、それとも パルケエスパーニヤの絶叫マシンの ピレネー(注5)に乗って、あまりの 怖さに耐えたことで、 岩屋のテイクオフの高さ・角度が怖くなくなっているのか・・・ ライザーを着けてもらって、グリーンパークではノンちゃんの指示まで ずーっと待っているのに、すぐ長野さんが前に立って、

17:00 はい、立ち上げて・・・長野さんから「離せ」の指示。「走れ」と言われ 3歩で離陸、数秒後「座れ」の指示  結構すんなりと座れた 風が強い日に半日、シュミレーターで練習したので、うまく行ったようだ。フライトスーツを着ていることも良かったのでは? 「座れました」と無線で返答する・・・「返事はしなくてよろしい」と言われる。 北ルートを進むが、途中で風で揺れる、そして浮いた感じに、 少し上昇したような気がするのだが?

 無線誘導が正一郎さんに変る。その後進路を ランディングのほうへ向け、 旋回の練習の指示が無線で入る 「右旋回」・・・シュミレーターで練習したが ハーネスの上でぐらぐらして、右に体重を移動できていない(右に体重移動するのが怖い) 3回くらい旋回したら今度は「左旋回」・・・これはうまくいった、2回旋回し再度「右旋回」(2回)・・・体重移動するとちゃんと回るわ 正一郎さんから「足組んだほうがかっこええで」とか「左回りは上手い」とか、言われるが、なんで暗くなってきて、そんなに高いとこまで みえるんや・・・正ちゃんあんた 視力5ぐらいあるンちやうか?

 高度処理が終わり次は、川下の方向へと飛ぶが少し左にずれて修正をしている間にターゲットを過ぎてしまった。  ターゲットは45度の角度でといわれていたが、正一郎さんから「見えるか」と言われ「見えませんでした」と無線で返答 ベースターン90度を行いTAK事務所の辺りで ファイナルターン90度。少し高度が高いとのことで、一度左へターンしてから

17:14 右ターンでターゲットを目指す・・・そしてランディング・・・ターゲットの少し手前であったが、こけずに 無事着地 (これは皆の前で、絶対にこけないようにしたかったので良かった) 正一郎さんが、握手で迎えてくれる・・・嬉しい。「伊勢村 ランディングしました ありがとうございました」 校長から「今の気分は」と聞かれ、ここで興奮していたのか、すぐ返答できず・・・本当は「空はロマン」と言いたかったのですが、 「気分いいです、ありがとうございました」・・・と言ったような記憶が残っている。 かなり興奮している・・・自分でライザーをはずしたが、機体の片付けは、高木さん、誠さん達がやってくれている・・・申し訳ないが お願いする。

18:00 校長・ノンちゃんが山から戻り、おめでとうといってくれる・・・

20:15 帰阪、家内・子供達に報告する 翌1:30校長にお礼のメールを入れる・・・・その後、就寝長い1日であった。

EPILOGUE

 グリーンパークで汗だくになって、練習しました。阪神の優勝の日は、タイガースカラーのラジオを聞きながら グリーンパークで試合経過を実況しました。天気の悪い日は校長先生の座学を聞きました。雪の中今日は すぐ帰ろうと思ったら、山頂まで上り校長とタンデムでバージンスノーにランディングそして人文字2つを作りました。 損得勘定のない、異業種・異世代が集まったこのスクールに入り、4ヶ月。休みが思うように取れない建設業の サラリーマンが、ほんまに続けて出来るやろかと思いつつ、何とかここまでたどり着けました。

 正一郎さんいわく・・・パラは3次元の究極のスポーツやで、・・・自分で飛んで納得しました。 ここまで来たからには、頑張って次のレベルを目指します。もちろん 「安全第一・マイペース」で、 校長・長野さん・正一郎さん・のんちゃん・ユカさん・講習場で手伝ってくださった方々、そして初フライトを 見守ってくださった方々、そして空と風の神様に 感謝!

(注1)日本国有鉄道・・・現在のJR東日本
(注2)阪神の試合があれば、学校は休み。授業ははっぴ姿。通学に旗と太鼓を持つ。たまにはTV・ラジオに出演していた。 萬田久子とは同級生
(注3)木村秀正・・・日本航空界の重鎮。YS11を設計。初代鳥人間コンテスト審査委員長。私の仲人のお父さん
(注4)母方の田舎・・・長野さんの但馬言葉は親戚の叔父・叔母と同じで愛着一杯。丸山応挙の大乗寺は私の先祖が 作ってます。
(注5)鳥羽のパルケエスパーニヤにある、中吊で座って、ハーネスつけて足ぶらぶらのジェットコースター (パラグライダーの姿勢に似ています) 回転は3回、ひねりが3回・・・とにかく怖い


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