眼下を見下ろすとそこは白銀の世界。耳元ではヒューヒューと心地よい風の声。「やったー、ついにできたー、」と心の中で叫んでいました。
去年の9月中旬。まだ残暑厳しい季節にグリーンパークデビューとなりました。このデビューとなるまでが一苦労。昔から空へのあこがれがあり、いろいろなスポーツをやって、みなそれなりに楽しいのですが、老後も楽しめる(?)一生のスポーツと考えて5、6年前からパラをやってみたいと思っていたのですが、なかなか機会に恵まれず今日まできてしまいました。しかし、「やっぱりやりたい」と女房に打ち明けると「あなたが飛んでいる間、私たち(女房とダンゴ3兄弟、7歳、5歳、3歳)は何をすればいいの。」と反対。普段、仕事で遅い私は週末は家族と共にと思っているので「じゃあ自分だけ行ってきます」とも言えず、まわりに何か他に遊べるものがあるところと本を見て青垣町を選びました。一度下見にくると、さてそこには2つのスクールがありました。自分の一生のスポーツと決めたパラグライダー。スクール選びでのちに後悔したくない。道の駅でフライヤーにインタビューするも、みな自分のスクールがいいよと、さっぱりわからない。我が社の製品が1番ですという普段の自分の仕事にそっくり。どうしたものかと悩んでいると、「私はまだOKしたわけではないわよ。」と女房の一言。よけいに私を悩ませる。そんなこんなで悶々とした日々を過ごしていると、ある朝女房が「これ」と朝日新聞の読者投書欄を開いて手渡してきました。そこには、パラの素晴らしさを見事に表現されている文章が載っていました。投稿者を見ると吹田市、歯科医、岡本さんとなっていました。女房がタウンページで調べると歯科医、岡本さんは吹田市には1軒しかなく、しかも無茶苦茶近所。「あれ、おまえがこれを見せたということは?」「キャンピングカーのときみたいに、言い出したら聞かないでしょう。」そうだ、2年前にも子供と遊べるのは小さいときだけだと思い強引に買っちゃった前歴を持つのだった。
さっそく岡本さんを訪ねスクール選びやパラの魅力についてお話を伺いました。スクールについて校長の人柄、ユーモア、技術、指導の仕方、先輩方の親切さなどを聞いているうちに心はTAKに決めていました。悩み解消。岡本さんと女房に感謝!。追伸、女房はかかあ殿下ではありません。念の為。おかあちゃん愛してるよ。
さて、グリーンパークで練習を始めたものの、さっぱり要領がつかめず苦しい(?)日々。
季節は秋になりおとうちゃんが坂を登っているのを横目に子供たちは栗拾い。寒風が吹く頃には同じ日に入った横田君は初フライト。(いったい、いつになったら飛べるんやろか。)と不安になってきました。岸本さんが一生懸命教えていただきますが、落第点。そんな時、12月のとても寒い中、ゆかさんが作ってくれたコーヒーは食道を通り、胃、十二指腸に入るまで温かさを感じました。どうもありがとうございました。そんなこんなで校長、岸本さん、そして多くの先輩方の助けを借りて、やっと初フライト待ちまでやってきました。
「機体が届いてますよ。」と青垣町を訪れたのは熱く激しいクリスマスパーテー以来の3週間ぶり。(初めて自分の機体で立ち上げの練習が出来るな。)とグリンパークに行ってみると、そこはスキー場。今日は子供たちとソリでもして遊ぶかと思っていると、「神永君、山に上がって、イメージトレーニングをしよう。一応機体を持っていって。」と校長。先輩たちが次々に立ち上げて飛び立っていくのを見て、今度来たときには飛べたらいいなと思いイメージトレーニングに励んでいました。すると、「神永君を飛ばせましょうか、校長」と長野さん。ゲゲゲ!!まっさらなボレロを開き準備にはいりました。いい風を待つこと30分。遂に初フライトが実現しました。
とても、風がおだやかで、最初は長野さんの誘導で、途中から校長の誘導で、グリーンパークでは出来なかったいろいろななターンを練習しながら無事ランデイングとなりました。雪の積もった田んぼ(?)の上へのやわらかなランデイングでした。「奥さん、ちゃんとビデオに撮ってあげた?ここまで長かったもんな。」と校長。あんまり言わんとってください恥ずかしい。後日、スキーに出かけたのですが、シングルリフトに安全ベルトがついていて、足が宙に浮いている。しかしその高さが数メートルではなくて500メートル。そんな安定した飛行だったなと感じました。
34歳でこのスポーツを始めることができました。仕事その他の理由であまり行けない時期もあるかもしれませんが、あと30年間は続けたいと思っていますので、校長、岸本さん、長野さん、そして一番若い正ちゃん、今後ともよろしくご指導お願いいたします。どうもありがとうございました。