1999年も半分が過ぎ、ミレニアムまでには火星に帰らなければならないオイラは少々焦っておりました。
何故かと言うと、2000年の4月に火星ではオイラの「天皇陛下就任大式典」が華々しく、大々的に開催されるのであります。
その様な中で、まだ火星に帰るだけのパラ技術が少々足らないオイラは、今年は何戦かコンペに出て、より一層技術を高め、いよいよ火星に帰へらなければ、大勢の部下はオイラの帰りを今や遅しと待ち望んでいるし、ほって置くわけにもいきましぇ〜ん。
また、これ以上“地球のセンスの悪い生物と長い付き合いもでけんわ”とも考えたり、いろいろと頭を悩ます問題が多いのでござりまする。
地球ではオイラの扱いが信じられへんくらい悪いんで、もう一回だけ言うとくけど、「火星に帰ったらオイラは直系の皇族やで!」「地球の皆んなは何を考えとるんや」「もっとオイラを大事にせなあかんのに、ほんまにまったく分かっとらんな〜」と言うわけで、とりあえず7月末の「琵琶湖バレイ」の大会に出ることにしました。
しかし、この大会にはTAKからは誰も出ないので1人で参加をすることにしましたが、後日大会本部から、エントリーリストが送られて来たのを見て、オイラはニヤニヤしてしまいました。
どっかの田舎でジャパンリーグをやっているみたいで、出場者を見ると知らん奴ばっかり、「このメンバーやったらオイラが勝つんに決まっとる。」「困ったなぁ、タスマニアの連中が内容を知ったら、こんなメンバーやったら勝ってもあたり前やがな〜」と言うに決まっとる。
ヘンコで意地ッパリでわがままで、かつ「オイラが一番」と思っている連中ばっかりやから、オイラも苦労が絶えましぇ〜ん。
何はともあれ、予定通り公式練習が始まりましたが、オイラを含めて6〜7人しか来ていません。「あかん!」「これではオイラのパフォーマンスが目立たへん、おらんもんはしゃ〜ない。」んで、とりあえず飛ぶことにしました。
他の連中が全員飛ぶのを確認してから、オイラもテイクオフ、時計を見ると午後1時、当たり前と言えば当たり前、腕のよい、男前で、かつ、気のやさしいオイラは絶好調、約1時間余りで大会本部から貰った地図のパイロン11ケ所全部クリア、もう〜向かうところ敵なし、「何でオイラはこんなにうまいんやろう!」「あ〜ぁ〜・あれ〜」「ほかの連中はもう着陸態勢に入っとっる。」「可哀想やな〜」、「ほんでも君たちとオイラでは実力が違うんだわ。」
オイラの機体はぐんぐん高度を稼いで、上空の雲の中、2〜3分も入ると真夏ながら涼しいこと、行ったことはないけど、琵琶湖バレイはパラワールドで見た「おフランスのアヌシー」に似た、大変景色の良いところでございます。「いやはや最高、何で皆さんは早ようおりるんかいな〜」「訳わからんわ!」
しかし、明日の本大会では雲に入ったら失格となるんで、「これぐらいにしとったる!」「目立ちすぎて、明日他のフライヤーにマークされてもたらたまらんしな〜」、時計を見るともう1時間半以上飛んどるし、「ランディングでもするかな〜」、と大会本部の上に行くと、日ごろから精進のよいオイラは、またまたサーマルに当ってしまいました。
「腕のよいオイラは目つぶっとっても上がるけど、明日のこともあるしな〜」「皆んな下で口あけて見とるな〜」「しゃないもう一回上げ直して、明日のために他のフライヤーに決定的なダメージを与えとこうか〜」
そう考えてから10〜15分でまたまた雲の中、「何でオイラはこんなにうまいんやろうな〜」「ほんまにイヤになるわ」、再度トップアウトして、琵琶湖から流れてくるお餅をちぎったような雲に入ったり、出たり、雲のまわりを孫悟空のように飛んだりして、ほんまに最高〜。「もう飽きてきけどな〜」大会本部の連中も含めて、オイラを待っとるけど無視してそのままどんどん南へ、「おぉ〜ゴルフ場が見えるど、綺麗やなあ、その先に琵琶湖大橋も見えるがな〜、ええぞ、こいつは!」、JR湖西線を眼下に、どんどん南へ進む、高度約900m、「ヨットもジェットボートも楽しそうやな〜」
そうこうしているうちに、琵琶湖大橋のすぐ近くまで来てしまいました。チョット気になって来た方向を振り向いたら、えらい遠いところまで来てしまいました。「本部の連中はオイラの帰りを待つのをイヤがって、もしオイラが帰れんかったら迎えにきよらんのと違う!?」、頭の良いオイラはすぐに方針を変えて、機体を180度反対方向の北に向けて、本部を目指しました。
しかし、長い間アクセルを踏みっぱなしで、もう足はパンパン、「あ〜ぁ、結構疲れた。」本部の上に到着したけど、高度がまだ400〜500メートルもあるし、「しゃ〜ないな〜、今度は本部を通り過ぎて北へでも行くか〜」、もうやりたい放題でござりまする〜。
2時間半ほど飛んで、本部横にランディングをすると皆さんが寄ってきて、「すごいですね〜。そのブーメラン!」、オイラ「・・・」「オイ、コラ、ブゥ、ブーメランとちゃうやろぉ、オイラがうまいんや!」「お前ら、そんなんやからええ飛びでけへんのやないか!」と叫んでしまいました。
さてさて大会本チャン、テイクオフでスタンバイ、他の連中を見るとかなり気合が入っとる、横で人の顔を見ながらニヤニヤ、それに気がついた、どっかの誰かさん、名前忘れてゴメン。「余裕ですね…」「いや、焦ってもしゃ〜ないし、ぼちぼち行くわ」とオイラ。心の中では、「昨日見とらんかったんかいな〜」「あんた見とったやろぉ〜」、「早い時間に出てもアカンのや、オイラは今日も午後1時にテイクオフするんや」、「レースはスピードtoゴールやろ、ゆっくりしたらええんや」・・・「ばくぁわも〜ん」
午前10時30分ゲートオープン、風強し、何機か出るけど前に進んどらん、1個のパイロン取るんにえらい苦労してる。「やっぱりな〜、午後1時まで待ってテイクオフやな、これで優勝間違いなしや…」
テイクオフでゆっくり寝転んでいると後ろで人の気配、「・・・」「こいつオイラが昨日ランディングしたとき、今日の作戦を思わずしゃべったブーメランをほめた奴や!」、「オイラの作戦に相乗りするつもりやな〜」「まずいど…これは…」しかし奴も飛ぶ気があらへん、動かん、「人のまねするな・・・コラ!」
そのうち、12時半になってしまいました。「そろそろ準備でもするか!」「あ…またこいつ、オイラのまねしとる・・・最悪やなあ〜」、「お前、そんなん恥ずかしゅうないか?」と独り言、しかし、相手を読むのがコンペです。仕方ありません。
諦めて準備を始めるとテイクオフだけガスがかかり始めて、「これやったらデパーチャのパイロン撮れへんで・・・」「クローズドが近かずいて来とるのに、どないするねん・・・」「もう・・・ぐすん!!」
この時点で飛んだのは10数人、まだ半数も飛んで〜へん、全員飛んで始めて競技が成立と書いてあったと誰かが言うんで、「そんなら今日はキャンセルやな〜…しゃ〜ないな〜」とテイクオフに残っていた連中と喋っていたら、それを聞きつけた、オーガナイザーが、「10時半からゲートオープンしてましたから、飛ばないのは勝手です。」「競技は成立します。」とぬかしやがった。
「オイオイォィ、それはないやろ〜」「風がきつ〜て、3機も風下に飛ばされて落ちたん見えたやろ〜」、テイクオフ近くの笹の中に落ちた機体はかなり危ない落ち方で、今テイクオフするバカはおれへん状態です。「そやのに、あんなこと言ゆ〜か?」
あせったどこかのスクールの岡田さん、テイクオフの準備を始めるので、オイラは彼に「今テイクオフしてもデパーチャ撮られへんのに止めとき〜な」、「まっ白やんか、予想以上にガスは濃いいかも知れへんで」、「どこに飛んで行くんか分らんで!」、と言いました。
この時点で辺りは真っ白、全く見えません。時々ガスの切れ間から琵琶湖が見える程度、それでも出ようとするので、「こんな状態で出るのは無謀やで!」とひっつこく言うと、「いや…フリーフライトで気軽に飛んどきますわ!」と言いながらガスの中に消えてしまいました。
それから1時間後、本部無線で、岡田さんが風下に飛ばされて、ナントかトンネルの近くに落ちて腰を折っている様子であることを知りました。本人はショックの余り、話もできない状態で、今、救急車が現場に向かっていると言ってました。
何日か後で、岡田さんが事故から2日後にお亡くなりになったことを聞いて、非常に残念に思いました。
「謹んでご冥福をお祈りいたします。合掌」
結局、初日はオイラを含めて約半数が飛べず・・・2日目は風が悪く、競技はキャンセルで、オイラのリザルトはなし。早めに出た10人位で表彰式、「そんなんあかんで〜」、「オイラは飛んで〜へんのや、ひで〜な〜もう。」「しゃ〜ないわなルールやから、火星やったらキャンセルやけど、大会本部のわがままやで…」がっくりきたオイラは、とぼとぼと神戸に帰って行きました。
琵琶湖から1週間後、“99・8・5” なぜか「にたぁ〜」、今度は石川県の「獅子吼」、オイラは「ウンバット」の車に便乗して、現地に向かいました。ウンバットとは、4年前にTAKタスマニアチームでオーストラリアに行った時、命名されました。その謂れを皆さんに紹介しておきます。
その時、タスマニアに着いた翌日、サウスウエスト・ナショナルパークの人っ子ひとりいない場所でキャンプをはり、レンジャーの案内で近くにそびえる「ラグビー山」に登ることになりました。
海抜770mの低い山だけど、キャンプ地が海抜0mなんで、まともに770mを登るハメになりました。途中までは道もあったけど、残り半分は道らしい道もなく、時には這い上がらなければならないところもあり、胃に穴の空いていた「タコのおちっやん」と「レンジャーの奥さん」は途中で山登りを中断し、我々エース軍団でこの山を征服しました。
「タコのおちゃん」とは、姫路でファションヘルスを経営する吉川さんのことで、オイラの御曹司が命名しました。オイラに似てなんとネーミングのセンスがいいのでしょう。
その帰り道、最後尾を歩いていた「金川さん」がいなくなり、我々はあたりをキョウロキョロ、かなり探しましたが見つかりません。
一応、心配しましたが、もし、日本に帰った時、この事が問題になって、警察で聞かれたら、「オイラは、一緒にオーストラリアに行ってません。」「まったく知りません。」と言う積もりでしたし、他の連中に相談しても「それでええ〜やん・ほっといたらええで!」と言っていました。
そんな話をまとめた直後、かぼそ〜い、たよりな〜い声で無線が入りました。「あぁぁ…金川です。」「それがどないしたん。」「・・・」「うんこがしたいんで、いましてるねん。」「待っといてちょうだ〜い。」やって。
ブッシュの中に消えた“ウンバット”は、愛くるしい実在の「ウォンバット」とは正反対の情けない奴とあいなりました。
しかし、あの時奴は手を洗う場所はなかったんで、「手、洗って〜へんな〜。」皆さんウンバットに近づくのはやめときましょう。
話がエライそれましたけど、兎にも角にも8月5日、獅子吼に着きました。当日は公式練習日であったけど、コンデ〜ションがもうひとつで、その日は簡単に終わってしまいました。
8月6日(金)競技を開始するため、競技者は全員ゴンドラでテイクオフに上がりました。風の状況と言えば、フォローで「あかんがな〜これやったらコンペは中止になるんとちゃう?」と思っていたら、11時頃急に風が順風変わって、慌ただしく競技が始まることになりました。
オーガナイザーの指示で、テイクオフはシード選手から出ることになり、まじめなオイラは諦めて後ろに行こうとすると、「そんなもん、無視したらええんや!」と女性の声がしました。振り向くと、豊子さんがこわい顔をして立っておられました。
しかし、ここだけの話やけど、「女は根性すわっとるわ!」、オイラなんか生まれがええし、気が弱いし、あんなあつかましいことはできません。しょんぼりとランキングbPの扇沢さん、続いて川地さんらが出て行くのを見ながら、ゆっくり準備をはじめました。
待ちに待ったオイラの出番、「よしよし、見とけよ!」オイラは元気よく機体を上げました。ちらっと見えたランディングに、豊子さんが見えました。知らんまに、何故かあつかましい豊子さんの前に出てしまいました。
当日はテイクオフの上空だけよいサーマルがあり、セクションをとりに平地の上に行くと高度を落とす状況でした。オイラはテイクオフから第1パイロンのゴンドラ駅を取って高度を落とし、テイクオフへ帰って高度を稼ぎ、第2パイロンの小学校のプールを取ってテイクオフへ、ほぼ同じ周回を2周してテイクオフに帰って来た時、 「ガァ〜ン?!」「・・・」
オイラの頭に中で、音がしました。よく考えると、一番最初のスタートパイロンを撮影するのを忘れていることに気がつきました。時計を見ると、もうすでに1時間半が経っており、空中で当てもなく、どうするべきか悩んでいました。
その答えは、公式戦に出るのは3年前の立山のライチョウバレイ以来やし、後2日あるし、性急に結果を求めても仕方のないもんは、仕方がないと思い直し(この辺がエライわな〜、オイラ)、また一からやり直しをすることにしました。しかし1時間もすると、サーマルはたれ、一挙に全員ランディングをしてしまいましたが、オイラは、かなりのパイロンをゲットすることができたので、この状況下では満足のいく内容でした。
しかし、当日の夕方、大会本部の結果発表を知って、がっかりしました。最後尾から何番目らしいのです、飛んだ本人が、他の機体を見とったら、自分が大体どのくらいの位置か分かるもんですが、予想とぜんぜん違うリザルトに納得がいきませんでした。
次の日の朝、大会本部に行って状況を聞くと、写真撮影の仕方が悪く、各セクションを通過していないと判断されていて、悔しいけれど、いい勉強になりました。
さてさて、事故日、当日、殆ど昨日とおなじエアーコンディションで、昨日の失敗は今日は絶対しないと心に秘めて、第1パイロンから撮影を始めました。小学校のプールを撮影して、次のパイロンに行く途中で高度を落とし、サーマルの集まっているテイクオフぎりぎりの高度でテイクオフに到達しました。
テイクオフの上では扇沢さんが回しており、風の状況から考えて、その下につけたかったけど、扇沢さんの機体とテイクオフの間に割り込むスペースがなかったので、その左横で回すことにしました。
1回くるりと回して、2回目に入ったとたん、突然目の前に機体が現れました。あまりにも突然で、びっくりしたけど、手足を大の字に広げて、相手のラインに突っ込むのだけは避けることができました。
しかし、相手の機体の翼端がオイラの首に巻き付いてしまい、瞬間的に両方の機体は絡まったまま「ノーコントロール」の状態になってしまいました。
オイラは、相手の機体で前が見えなくなり、高度から考えてレスキューは開かないと思ったけど、相手の機体が邪魔になってレスキューに手が届かず、大声で相手に「レスキュー!!」「れすきゅ〜う!!」と叫びましたが、聞こえないのか投げません。あせったオイラは相手の機体を振りほどいてレスキューを投げたのは、衝突から2〜3秒後でした。
これが命取りになってしまいました。地面がすぐそこに見えて、オイラが投げたレスキューは弁当箱のようにヒョロヒョロと開かないまま、オイラと一緒にクルクル回って落ちて行きました。
しかし、ノーコン状態で落ちていくのは結構怖いんでございます。その時、オイラは「も〜どないなってもええから、早よう地面に落ちて結果がでたらええわ!」と思いながら、墜落の直前まで落ちるであろう場所をむなしく見ながら、「早ようレスキュー開いてちょうだい。」と言いながら・・・・
「プッツン!」「・・・」
オイラの意思に反して、気絶してしまったようです。
起さんでええのに、誰かがオイラを起したので、気がついてしまいましたが、それからの「いて〜こと、いて〜こと…」「いや、ほんと!」
「こらぁ〜!」「起すなぁ〜!」「ごっつい痛いやんか!」、いやほんま、また気絶するかと思うほどで、自分の体がどないなっとんか分からんほどでした。
とにかく、最初にほりこまれた病院で全身ごっつい痛て〜のに、嫌がるオイラのレントゲンを無理やり撮っておきながら、後から聞いたけど、「ここでは対応できないんで、金沢大学付属病院に行ってください。」やって!
「ほんまに、痛い、ゆうとるのに」、「あんた代わったろうか〜」と思うたけど、そんな元気もなく、「お願い、はようまともな病院に連れて行ってちょうだい!」「左肩、ほんまに痛いけど、まんだ付いとるん? ちゃんと見てな!」
気がつくと、どっかのしっかりした病院に寝かされており、ひと安心、しかし、問題はこれからでした。集中治療室で医者らしき4人のおとこ、おんなも何人かいます。たぶん、医者と看護婦やったと思うけど・・・・
みんな真剣な顔つき、「やめて〜な、そんな顔、落ち込むやんか」、医者たちの話し声が聞こえます。そのうちの1人がピカリと光る何かのパイプらしきものを握っています。
突然、オイラの胸に突きたてようとしています。「オイオイオイ、そ、それはないやろう」「そんなもん入るわけないやろう」「・・・」「いてててて・・・」オイラもがまんしてるけど、がまんの限界を超す痛さでございます。墜落した怪我が痛と〜て、体がぜんぜん動かせへんのに、その体にパイプを付きたてて、オイラをいじめます。
「いててててて…」「・・・」「そうじゃない、こうだ!」「いや、違う。」「こうだ!」「ゴリ、ゴリ、ゴリ」「ひえ〜」
どうも、新米にやらせているようす、あまりの痛さに自分の体が「えびぞり」になるほどです。オイラが暴れるんで、4人がかりで押さえつけられ、再々再度、パイプを付きたてます。
「このど素人が!はようせんか〜!」、ほとんど無意識の中でオイラは、そのお方に怒鳴ってしまいました。
後日、主治医から、「私、足立さんに、えらい怒られました。」と言われ、あの下手な新人と思った医者が、実は、ベテランの主治医でした。ごめん!
それから1週間、ぴくりともできずに天井を見て暮らしました。天井のしみの形は今でもよく覚えております。
「ほんまに、こんなん元気になるんかいな〜」、とベットのうえで考えていましたが、尿の管を抜いてもらってからは、不思議と元気になりました。
しかし、尿の管を抜くとき、べっぴんの看護婦さんが、突然病室にやって来て、「あまり長い間尿の管をつけると、自律神経がダメになりますから、管を抜きます。」と言って、突然、布団をおめくりになりましたが、事故以来、スッポンポンで寝かされていたのに、「恥ずかしいやぁ〜ん」、そのうえ、ウチの校長の言葉を借りれば、同い年の立派な息子をいきなり「むぎゅ」と掴んで、「すぽん!」と抜きました。オイラは、ムササビさんとはキャラクターが違うので、こんな話は苦手ですが、事実です。
看護婦さんがエライべっぴんで、思わず興奮しそうになりましたが、人格者のオイラはこれに耐えることができました。 この辺が、ムササビさんとオイラが決定的に違うところでございます。
べっぴんの看護婦さんは、TAKにいる木戸さんの奥さん(奥さんもきれいやけど)に勝るとも劣らない美人で、愛想が良く、このまま病院で一生暮らしたいほどでした。
3週間後には、胸に突き刺さっていた、にっくきパイプを抜いてもらってからは、ますます元気になり、主治医から、「外にでられるのでしたら、自由に出て行ってもらってかまいません。」「出ているのなら」と言われたので、むきになって、外に出かけたところフラついて、2週間も寝たきりの体には結構堪えました。
それでも、すし屋を見つけて、久しぶりのおいしい刺身とビールをグイグイ飲み干すと、予想以上に酔ってしまい、ふらつきながら病院へ帰りました。
それから毎日3時になると、病院の前の自販機までスロ〜モ〜でビール(500ml1本と350ml1本だけ、量を抑えるこのへんがエライわな〜、オイラ)を買いに行き、病室で飲む毎日でした。
ある日、いつもの様にカーテンをひいてこっそりと楽しんでいると、看護婦さんが、「足立さん検温です。」と突然カーテンをお開けになったので、気の弱いオイラはたいへん「ビックラ」して、思わずベットから落ちそうになりましたが、ビールだけはしっかり握っておりました。
その看護婦さん曰く、「え〜、信じられへん〜」、「も〜」、しかし、べっぴんの看護婦さんとオイラは既に信頼関係(肉体関係は望んだけどありませんでした。)ができていたので、何も怒られず彼女は検温も忘れ、黙って出ていってしまいました。
8月25日(金)事故から19日目に、退院を嫌がる主治医(あ〜、いま気がついたけど、主治医はオイラが好きやったんやな〜 しかし、オイラにはその気はないで〜)と何回も話をし、神戸に帰ったら即、別の病院に入院することを条件にめでたく退院の了解をいただきました。
しかし、オイラは神戸に帰るとそのことはすっかり忘れてしまいました。幼少のころより、都合の悪いことはよく忘れます。はい、ポテチン!
11月6日(土)、事故以来ちょうど3ケ月振りに、岩屋の南テイクオフに立つことができました。
羽曳野のやくざ(あ〜・ちゃうちゃう)、田端さんたちが、テイクオフの準備を手伝ってくれるんで、かなり「気持ちわり〜」状態やったけど、それを断ると何か仕返しがくるのが分かっていたので、助けられながら出ました。
そして、久々に空の人となりました。このフライトで463本目になりますが、正直に言うと初フライトの時よりドキドキしてしまいました。
しかし、この調子でいけば、500本目位でいよいよ火星に帰れそうです。
これからは、安全フライトに神経を注ぐ積もりです。それからこの際言わしてもらいますが、校長!! オイラは火星で次期天皇陛下になりますんで、「たこ」などと呼ぶのはやめていただきたいと思います。
この事は、火星にいるオイラの部下も、インターネットを通じて知っており、この失礼な言動に「戦争や!」と言っとります。
もし、「宇宙大戦争」になったら、校長フセイン並の扱いを受けることになるのでございます。校長んとこのあの悪がき「テポドン」とともに、オイラは責任を持てないじゃ〜、あ〜りませんか。
オイラの正式名称は「マストン」、パラ業界では、「ミスター・サーマル」、後の方がかっこうエエんで気に入っていますが・・・
ほな、みなさん、さよ〜なら、またエエことあるから、気にせんとき。「ああオイラのこと、反省してます。」
TAK Tasmania Team
Reported By Hirofumi Adachi