みなさんは、大だこマストンをご存じですか? 本当は火星人で地球では「あだちさん」と呼ばれています。
そのオイラは、1995年1月頃宇宙船で旅をしていたところ、機器の故障で不幸にも地球に軟着陸してしまいました。
軟着陸した場所は「姫路」と呼ばれているところで、真夜中であったにもかかわらず、女遊びをしていた「よしかわさん」と呼ばれているタコ(タコに見えた。)に助けられました。
初めて会った時から、他人の様に思わなかったのは、オイラだけでしょうか?
取りあえず「よしかわさん」の家に身を寄せることになりました。その夜、宇宙船の故障の話をして、どうしても火星に帰りたいオイラは何か空を飛べるものはないかと聞くと、は無責任にも「パラグライダ−」があると教えてくれました。
次の日、「よしかわさん」にTAKパラグライディングスク−ルという所へ連れていってもらいました。
校長先生は「たっくさん」と呼ばれ、人相の割りには優しいタコ(まちがい:人)でしたが、その息子の「こたっく」は口は悪いが、態度はでかい人でした。しかし、性格は悪い人でした。
スク−ルに行ったその日から、空を飛ぶ練習を一生懸命しましたが、宇宙船の操縦とは違ってかなり難しい乗り物でした。しかし、火星に帰りたいオイラはその後、毎日、毎日グリ−ンパ−ク練習場を昇り降りして一生懸命練習をしました。
「こたっく」に口ぎたなく罵られながら、段々空が飛べるようになりました。今ではその「こたっく」に少し感謝しています。
そんなある日、この乗り物でうまくいけば火星に帰れるかも知れないと思うことが起きました。
その日は天気は良く、「こうちょう先生」がこの頃「朝練」といって朝早くから練習することがあり、前日から事務所に泊まっていたオイラは、眠い目をこすりながら、岩屋山の南テイクオフでみんなが飛ぶのを手伝っていました。
まだサ−マルも出てへんし、「今日は眼下の綺麗な若葉を見ながらゆっくり飛んだろう。」と思っていると、「まえだくん」が「あだちさん、今日は海を見に行かへん。」と言ったので、「どこの海へ?」と聞くと「日本海に決まっとるやんか。」と言うので、「ほんならオイラは新潟の海を見に行くわ。」と言いました。火星では、どうせ言うなら大ぼらを吹くことになってます。
空の状況は、春のよくある強烈なサ−マルもなくて、岩屋山をふらふらと飛んでいましたが、うち何機かは 1,500〜 1,600mまで上がっていました。オイラの機体はどう言う訳かあまり上がらず、仕方がないので先に着陸した「むらたさん」と言う人に「安全山」に行くので宜しくと無線を飛ばし出かけましたが、向かい風が強くカチカチ山で引き返しました。
今度は、「大箕山」で何機かいるのを発見して、フルスピ−ドでそちらに向いましたが、現場に到着しても他の機体のように高く上がらず、がっかりして又岩屋山に帰ってきました。
そうこうしていると突然しっかりしたサ−マルに当たり、ギュンギュン回していると雲底までつけることができ、高度は 1,450mでした。
もうこれ以上は上がらないので、「こうちょう先生」に無線を飛ばして、「粟鹿山」に行きますと言うと、「そんな危険を侵してまで行かんでいい、歳もとっているんやから無理して高圧電線に引っ掛かったら、頭から感電するで。」と怒鳴られ、気の弱いオイラは「はい分かりました。」と「こうちょう先生」の意見に従うことにしました。
でも、「オイラは歳はとってへんで、大体400歳位まで生きるのに、あかん、こうちょう先生はオイラのことを理解してへんな!」
しかし、「こうちょう先生」はこわいので、言われたとおりに「福知山」方面に流すことにしました。
グリ−ンパ−クからは「ながしまさん」が「こっちには、若い女性の講習生がいっぱいおるんで、ここに着陸したら絶対もてるで!」と言ったので、殆どオイラはその気になっていたんだけど、高度がまだ 1,400mもあるし、もったいないので「福知山」方面に走ることにしました。
その直後「いがわくん」から「こうちょう先生」に「わたしもあだちさんについて言ってよろしいか」と無線が入ったのを聞いたので、「あんまりええ加減なフライトもでけへんな」と考えました。 取り敢えずオイラはグリ−ンパ−クの上空を通過して、福知山方面を目指していたが、ふと気がつくと「まえだくん」の機体は高高度で五台山に向かっておりました。
福知山との境の「なんとか峠」を通過してどんどん流していると、残念ながら順調に高度を落とし福知山カントリ−の東で高度が 220mとなり、「こんなところで下りるとかっこ付けへんな、最終目標は火星やのにこんな所で下りる訳にいかへんがな〜」とサ−マルを探してウロウロしていると、弱いけど小さいサ−マルを見つけることができました。
大事に大事に回していると、段々と高度が上がっていきましたが、「いがわくん」は可哀相に段々沈んでいきました。「オイラはいがわくんに、またええことあるから今日は無事に着陸してやと心の中でつぶやきました。」
オイラの機体はぐんぐん高度を稼ぎ 1,200mまで上がり、もうこれ以上は無理と思ったので、機体を北に向けて次の山に張りつくため、フルスピ−ドで飛んで行きました。
しかし、今日の状況は強烈なサ−マルもないし、長距離フライトができるとは思えんけど、できるだけ頑張って、1kmでも先に飛ぶことに目標を切り換えました。
福知山の北西の低い山に 200m位でたどりついた時、「こうちょう先生」から「あだちさん、現在地、高度は?」と言われたけど低くて着陸しそうだったので、「いま低くうて落ちそうなんで、無線切ります。」と連絡しながら、ふらふらと山肌にひっついていました。
そこでもまた弱いけど頼りないサ−マルを引っかけ 250mぐらいには上がったけど、小山の稜線を越すのが精一杯でおまけに高圧線は通っているし、谷は狭くて着陸場所はないし、田んぼは水が入っているし、色々と考えているうちによろよろと高圧線を越してしまいました。
こんな所を「こうちょう先生」に見られたら「破門」やろうな、おまけに高圧線の上を通るとき翼端もつぶれとったし・・・
しかし、こんな田舎の狭い谷にテニスコ−トが一面あって、コ−トにトンボをかけていた2人は、オイラに気がつき、ここに下りろとばかり手招きをするけど、「そんな狭いとこ世界チャンプでも無理やで、田んぼ沈のほうがましやわと思いました。」
「しかし、えらい谷に入ってしもうたな、下ろすところあれへんで、ああもうあかん高度52mやこれで今日は終わりや」と思った瞬間、又しても弱いサ−マルを引っかけ丁寧に、慎重に上げていきました。
遠ざかる2人はオイラを見上げてぽかんとした顔をなさっていました。「はい、さようなら。・・・・あの2人いまでもまだ空見とるんとちゃうか?」
高度 200mを越えたあたりで、しっかりしたサ−マルに当たり、ぐんぐん高度を稼ぎ 1,400mまで上がりました。風下に高い山が見えたので、この山に付くしかないと思い、糸の切れたタコのようにその山に近づいていきました。
近づくにつれて、その山がひょっとしたら「大江山」ではないかと思いました。何故かと言うと山頂に大勢のハイカ−の姿が見えたし、スキ−場のようにも見えたからです。
「これが有名な鬼のおる大江山か、家にも一匹こわい赤おにがおるけどな〜、家のほうがだんぜん怖いで〜」と思いながらどんどんその山へ近づいていきました。
「これはええぞ、ちょっと高度は足らんけど、そのうち何とかなるやろう。あんだけギャラリ−がおるのに寄らんわけにはいかへんがな〜」と思いながらどんどん近ずいていきました。
丁度お昼頃で、大勢のハイカ−は都合のええことにこちらを向いてお弁当を広げていました。ハイカ−はすぐにオイラに気が付き、大勢の人がオイラに手を振ってくれました。オイラはまるで火星に帰還した英雄のように思えました。
しかし、「山頂上空に行くには高度が足れへん、このままやったら山頂に激突するがな、や、やばい。」、でもオイラは日頃の精進がいいので、山肌に叩きつけられた風に乗って、山頂に近づくにつれて高度が上がり、山頂の30m上空にたどり着きました。
そこでオイラはギャラリ−に手を振りながらギャラリ−の上空を一周しましたが、危うく高度を落とし着陸しそうになりました。
パフォ−マンスもこれくらいに、またふらふらと風に流されて飛んで行くことにしました。
山頂の子供が稜線を走って追いかけてくるけど、いま、オイラは忙しいし、機体は時速35Kmで飛んでいるので、その子供たちがオイラに追いつくことはできないし、手を振りながら、どんどん小さくなる子供に「君たちも、大きくなったらオイラのように空を飛べよ!」と分かれを告げました。
気が付くとロ−タ−の中で機体はばかばかしています。段々と山から離れていき、ロ−タ−側のサ−マルを拾って上げていたところ、事務所のゆかさんから無線が入り、サポ−タ−が車で追いかけていることを知りました。
その後も「ゆかさん」と無線交信をし、自分がどこを飛んでいるのかも分かりました。「しかし、大江山はごっつい綺麗な山ですわ、みなさんも一度行ったらどないですか?」
またまた高度を落とし、そろそろランディング場所を探していました。 200mを切ったところでまたサ−マルを見つけ丁寧に回していると、今まで気が付かなかったけど「海」が見えました。
無線でそれを報告すると、「こうちょう先生」は「海ぼうずはやっぱり海に帰るんだよ」と言われ腹だたしくも、妙に感心してしまったオイラは一体何なんでしょうか?
海の方を良く見ると「天橋立」が見えました。上空から見る天橋立は綺麗、すごく綺麗です。「確かに景色は綺麗やけど、これはゴ−・カト−がこの前岩屋XCクラッシックの時走ったル−トやな、ゴ−が着陸した丹後半島の先はもう陸が無かったしな〜、ここまで来たから取り敢えず天橋立まで行って、それから先はその時考えよう。」と一直線に天橋立に向かいました。
海風も入ってきたし、殆ど天橋立に届いたし、「今日はこれくらいにしとったる。」と思って飛んでいたら、「ゆかさんから、校長から無線で、岩屋は風が南西に変わったので福井方面に行ったほうがよいですよ。」とのこと。
「さすが、こうちょう先生、遠く離れていても、オイラを認識してくれてるわ。ほんまはオイラのこと好きなんちゃう?」
「このまま北に向かうのもいいけど、ゴ−の距離を越えることはできないと思い、進路を90度東へ修正し、海岸から数キロのところを一路東へ向いました。
「え〜、こちらはフライト中のあだちですが、岩屋とれますか?」・・・・
「そんなもんとれません。」と伴走中の「よしだくん」から突然無線が入り、彼らは今オイラの下を走っていることを知り安心しました。
「しかし、5月の連休中に混雑した国道を走らんでも、空はようすいとるし、なんせ綺麗や。なんで彼らは地面を走しっとるんやろう? あっオイラのサポ−ト、失礼しました。」
オイラはどんどん東へ走るけど、やはり海からの風が強く、益々高度を落としていきます。由良川が見えてきました。大勢のウインドサ−ファ−が河口で遊んでいます。「あれ、川上から風が吹いているんやな〜、上空とはちょっと違うけどな〜」
そのうち由良川を通りすぎ、軍艦の見える港が見えてきました。「あれは岸壁の母で有名な舞鶴市やな、新潟までまだまだやな〜、新潟に着いたら小野寺さんが飯でも食わしてくれるやろ。」
その港の裏の小山に取りついたけど、ぜんぜん上がらへん、仕方なし港の材木置き場の広いアスファルトが見えたので、最後はあの木材置き場のサ−マルを狙って突っ込んで行くことにしました。
しかし、良く日の照ったアスファルトの広い木材置き場にあるはずのサ−マルは全くありませんでした。
大変がっかりしましたが、クロカンの大事な要素の一つは無事に着陸することと聞いているの、無理をすることをやめました。
まあ、今日のフライトには満足しています。何度となくサ−マルを拾って、低高度から上げ直したのは、自分なりによくやったと思っています。「自分をほめてやりたい。・・・どっかで聞いた言葉やな、ままええか。」
機体を畳んで、近くのモ−ビルのガススタンドに行って、事務所に電話しました。「もしもし、あだちです。」「はいはい。あ〜あだちさん、こんにちは」、オイラ「・・・」
電話に出たのは「ゆかさん」です。このせりふは通常オイラが事務所に電話をしたときと全く同じものです。
オイラは「ゆかさん」の第1声は「だいじょうぶ、無事ですか?」「いまどこですか?」と心配してくれているものと思っとったのに、期待はずれでした。
「はいはい、あ〜あだちさん、こんにちは」はないやろ、「さっきまで頻繁に無線交信しとったやんか」
「ゆかさん」はすぐに気がついて、「あ・あ・あははは、あだちさん今どこ?」
みごとな「天然ぼけ」につい突っ込みをいれるのを忘れてしまいました。
最後に、校長先生、サポ−トに回ってくれたみなさん、ありがとうございました。
大だこマストンは無事に海に帰りました。本当はマストンは舞鶴港の魚屋で自分の子供とそっくりな「ゆでだこ」を見て大暴れし、地球を追われることになるのですが、今日は気分がいいのでファイトはやめときます。次のフライトはいよいよ火星です。「ほなさいなら。」
日 時 1999.5.2.(日)
天 候 晴れ、風速1〜2m
T O 午前9時30分
L D 午後1時43分
場 所 舞鶴市字喜多
機 体 グラディエント アワックス26
距 離 40Km(天橋立経由53Km)
パイロット 大だこマストン(地球の源氏名:足立博文)
登場人物 こうちょうせんせい 只野直孝氏(通称TAK)
ゆかさん 只野直孝氏の若奥さん
こたっく 只野直孝氏のだんご3兄弟の長男
ながしまさん インストラクタ−
よしかわさん コンペティタ−(趣味:援助交際)
むらたさん TAKパイロット(通称タスマニアタイガ−)
まえだくん TAKパイロット
いがわくん TAKパイロット(彼女募集中)
よしだくん TAKパイロット(彼女募集中)
PS.TAKパラグライディングスク-ル では昨年1年間に8組のカップル(結婚済)が誕生し、地元新聞でも取り上げられました。今年もまた続々発生しています。しかし、「ながしま」「まえだ」「いがわ」「よしだ」の各パイロットはいぜんからスク−ルにいたのに、後輩に先を越されてしまい、現在まだ彼女はいません。パラやったら、やり直しがきくけどこればっかりは難しいと思います。よって、これを読んだフライヤ−は彼らのためによろしくお願いします。