7,850mからのハンググライダー飛行




鳥人のひらめき


 ヒマラヤの8,000mの成層圏に、ハンググライダーを持ち上げて飛んでみようと心に決めたのは、1枚の写真を見た時から始まる。その写真とは、タンチョウヅルの群が、ヒマラヤ山脈の上空を飛んでいるもの。それまで、なんとなく8,000mぐらいから飛べるのではないかと予感は持っていたが、これを見た瞬間、いける!!という鳥人(?)のひらめきが頭の中を走った。

 「酸素ボンベもパラシュートも持たないツルどもが、ヒマラヤ越えが出来るのなら、俺にも出来ないことはない」と変な、ライバル意識が、メラメラと燃えてきた。この時すでに人間ではなく鳥人になりつつあったのかもしれない。

三浦さんと
三浦さんと初めてあったとき

 どうしてプロスキーヤーが、ハンググライダーで世界一高い所から飛んだのか、みなさん不思議に思われるでしょう。生れて育ったのが東北の仙台で、小さい時からスキーをやっていた。学生時代もスキークレイジーで、東北学院大学在学中に、プロスキーヤーの三浦雄一郎氏から『プロになって自分の力を試してみないか?』と誘われて、二つ返事でこの世界に飛び込んだ。1970年5月、エベレスト・スキー探検隊に参加し、エベレストの氷壁を、直滑降してくる三浦プロの姿を目のあたりにした時、『俺も行きたい男の舞台』と心にやきついたのです。スキーでは、世界一高い山を滑られてしまったので、それ以上の冒険は考えられない。何をしていいのかわからない悶々とした日が1年程続いていたころ、アラスカのスキー場でUFOに出会ったぐらいびっくりした未知との遭遇があったのです。

 パタバタバタ……と音がするので、なにかなと空を見上げると、なんと!人間が翼をつけて空を飛んでいる。頭のテッペンからツマ先まで、電流が流れたようなショック。子供の頃から、翼ひとつで鳥の様に自由に大空を飛べたらどんなにすばらしい事だろうと想っていた夢の世界の話が、今現実に目の前に現れて、しかも悠然と空を舞っている。

 エベレスト以降、眠っていた俺のタマシイがガバッと目を覚まして、日本で初めての鳥人になる決意をし、アメリカで早速この翼を注文し、日本に帰って来るとすぐ横浜から大阪へ引越した。引越したといっても、ヨメさんと生れて2ヵ月の娘を、動くのが不思議なくらいポンコツな車にのっけて大阪へ向かったのである。金はないけど、これから始まる新しい体験へ希望と夢で一ぱいだった。ヨメさんと生れてまもない娘にとっては、本当にめいわくな話しだったと思うが…。

 ハンググライダーは、NASAの宇宙船回収用パラシュートに起源を発するものであるが、今やスポーツとして定着し、より速く、より遠くへ、そしてより高く飛ぶことを競い合うようになった。また民間企業においても撮影用として使われている。

 冒険家&プロスキーヤー只野直孝氏は、「ハンググライダーで空を飛んでいる時、どんな気分ですか」とよく質問されますが、ジョークで「まるで空を飛んでいるような気分です」と答える。

 上昇すれば、するほど、野や山や湖がどんどん小さくなり、鳥は毎日こんなすばらしい世界にいるのだから、うらやましいかぎりである。

 彼はまるで鳥瞰図のようだと語っている。


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