今、私は定年後5年目の生活を送っています。今回、パラグライダーの世界に一歩踏み入れたことで、かねてから思い描いていた理想の定年後生活に着陸できたと考えています。
私の理想の5つの条件
1. 頭を使う趣味と身体を使う趣味を持つこと
2.
学ぶこと
3.
教えること
4.
自然と触れ合うこと
5. 家事を楽しむこと
昨年10月からの私の週間行動は、月木がドラッグストアで薬剤師のアルバイト、火水がパラグライダー、金土が家庭菜園の手入れやボランティアの準備など諸々の自宅での作業、日曜が日本語教師のボランティアです。家事は台所の洗い物と清掃および朝食が担当です。毎日できるだけ歩くこと、時間を見つけてバイクのトレーニングと英語・中国語学習を続けることも心がけています。
パラグライダーは「私の理想条件」の@ACを充実してくれる強力な助っ人です。
火水の青垣での生活によって、パラグライダーを学べるだけでなく、緑豊かな田園・清涼な空気・星空など田舎でしか味わえないものを満喫することができます。
早朝にランディング場のうしろを流れる川の土手をインラインスケートで滑る(転がす?)のも素晴らしい楽しみになりました。
登校中の小中学校生徒との「オハヨー」のやり取りも気を若くさせてくれます。また、TAKでの人間関係の構築も魅力的です。
一般的に定年後の男が新しい人間関係を構築するのは難しいと言われています。
TAKの先輩達はユニークな人が多く、気の弱い私には近寄り難いものがありますが、共通の趣味を介したお付き合いであれば何とかなりそうです。
しかもTAKにはスキーやゴルフの愛好会もあるようだし、私はまだ経験していませんが、年末の宴会はこの世のものとは思えないくらいらしいですね。
私が青垣に2日間滞在できるのは佐野邸のお陰です。
TAK大先輩の佐野インストラクターが借り上げている家があり、1晩1000円で宿泊させてくれます。
佐野さんは姫路在住のため、新免先輩が管理を引き受けていらっしゃるのですが、毎週滞在を希望する私は新免さんにお願いして、清掃係に任じてもらいました。
「来たときよりも、何かをきれいに」を心がけて滞在させていただいております。
かくして、私の定年後生活は「私の理想」に近い状態となった次第ですが、こうなるに至った背景を蛇足ながら紹介します。
私がかつて勤務していた会社では、一時、54〜55才の従業員とその配偶者を対象とした「定年後の生活を考えるセミナ-」を開催していました。
山中のホテルに2日間缶詰となり、何人かの講師からレクチャーを受けました。
その中で記憶に残っているのは、定年後を想定し、受講者各人が一日24時間の行動予定を円グラフにする実習時間です。
ご婦人方はサラサラと円グラフを埋めていましたが、男性と言えば、「睡眠」「食事」「新聞・テレビ」の時間を書き込んだ後は、ただただ唸るばかりで先へ進めません。
「庭の草取り」に半日を割り当てた人もいましたが、講師から「毎日が日曜ですから、3日目には取る草は1本もありませんよ」と言われていました。円グラフ記入は、男性から会社・仕事を取り去ると何も残らないことを自覚させる道具だったのです。
講師の結びの言葉は、
『定年後を機嫌よく生きるには、今後の5〜6年の間に、仕事ばかりでなく自分のためにも時間を使い、定年後に継続してできる「何か」を予め数種類準備することです。
退職してからでは、体力・金銭感覚に変化が生じ、新しい「何か」を獲得することは中々難しくなりますよ。それから、音楽を聴くだけ、読書をするだけ等の受動的なものは「何か」に入れないで下さい』でした。
さて、当時は毎日酒を飲むことくらいしか人生の楽しみ方を知らなかった私です。
定年準備に何をしたらよいのやら分からないまま、相変わらず会社人間を続けておりましたが、職制定年という名のリストラで、窓際の人になってしまいました。
以後、残業なし、休日出勤なしで、時間をもて余す境遇となり、「何か」探しを開始しました。
その頃に設定した前述の「定年後生活の理想条件」に沿って定年数年前から定年後にかけて取り組み始めたのが家庭菜園、日本語教師、バイク、妻との台所分担、中国語です。
こんなトシになって新しい世界を覗いてみると、それぞれの世界には経験を積んだ大先輩たちが綺羅星のように輝いていました。
私の活動余命を考えると、大先輩たちのレベルに到底到達できないことは明白です。
しかし、日本語教師やバイクの世界の経験では、大先輩達に接し・学ぶことで、予想以上に早く「楽しめるレベル」に到達することができました。
パラグライダーにおいてもきっとそうなると確信しています。TAKの校長先生は「動機・実現可能な目標・根気があれば何事も達成できる」とおっしゃっていました。私も全くその通りだと思います。
年齢がさほど違わない先輩や親しい友人が次々に病に倒れる年代に私も入っています。いつ自分がそうなっても、「いい人生だった」と思えるように、今、一日一日を楽しんで生きています。